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名古屋地方裁判所 平成6年(わ)1788号 判決 1996年2月23日

主文

被告人両名をそれぞれ禁錮二年に処する。

被告人両名に対し、この裁判確定の日から各四年間それぞれ刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人両名の連帯負担とする。

理由

(認定事実)

被告人Sは、鉄道保線工事請負等の事業を清水組の名称で営む清水鉦三の従業員で、名古屋鉄道株式会社から鉄道保線工事における列車監視者資格の認定を受けて鉄道保線工事において列車監視の業務に従事し、被告人Iは、同鉄道の電気機関士として電車運転の業務に従事していた。

一  被告人Sは、平成六年一二月一六日午前八時五〇分ころから、愛知県日進市折戸町中ノ狭間地内の名古屋鉄道豊田線日進駅・赤池駅間上り線の赤池駅起点約二一六九メートルの軌道敷内において、前記清水鉦三が矢作建設工業株式会社から請け負った道床更換作業を右清水鉦三ほか三名と共に行うに当たり、右清水鉦三から命ぜられて列車監視の業務に従事した。このような場合、列車監視者としては、上り線電車の進行してくる約一二一メートル先の日進駅方向を注視し、接近してくる電車の有無を常に確認して、少なくとも同駅到着の上り電車を認めたときには右清水鉦三ら四名の作業員に電車の接近を周知させたうえ、その作業を中断させて安全な場所に避譲させ、もって事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務がある。ところが、被告人Sはこれを怠り、同日午前九時四二分ころから右軌道敷脇で砂利等を入れたかごの整理に気を奪われて、日進駅方向を注視せず、上り電車の接近や同駅到着を確認しなかったという過失を犯した。

二  被告人Iは、豊田市駅発上小田井駅行き上り普通電車(六両編成)を運転し、前記日進駅に到着後、同日午前九時四三分ころ、同駅を発進しようとした。このような場合、電気機関士としては、常に前方を注視して進路の安全を確認し、もって事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務がある。ところが、被告人Iはこれを怠り、予定到着時刻より一分弱の遅れがあったことなどに気を取られ、前方を注視せず、進路の安全を確認しないまま、右電車を発進させて時速約四二キロメートルまで加速進行させたという過失を犯した。

その結果、被告人両名は、同時刻ころ、被告人Sにおいては、同電車が通過するまで全くその接近に気づかず、被告人Iにおいては、前記清水鉦三らが進路前方の軌道敷内で作業しているのを約三八メートルに接近して初めて気づき非常ブレーキをかけたが及ばず、被告人I運転の右電車前部を作業員の右清水鉦三(昭和七年二月一一日生)、稲垣正見(昭和七年二月二〇日生)、加藤隆(昭和一五年一月一八日生)及び田原英哲(昭和四七年一二月二五日生)の四名に激突させて跳ね飛ばし、よって、右清水鉦三を頚椎骨折等により、右稲垣を頚椎骨折等により、右加藤を胸腹部・内臓損傷により、右田原を頭蓋骨骨折等によりそれぞれ即死させた。

(証拠)<省略>

(適用法条-被告人両名)

注・適用した刑法は、平成七年法律第九一号による改正前のものである。

罰条 各刑法二一一条前段(各被害者ごと)

科刑上一罪の処理 刑法五四条一項前段、一〇条(一罪として犯情の最も重い田原英哲に対する業務上過失致死罪の刑で処断)

刑種の選択 禁錮刑

主刑 禁錮二年

刑の執行猶予 刑法二五条一項(四年間猶予)

訴訟費用 刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条(連帯負担)

(量刑事情)

一  責任の重大性

本件は、被告人両名の不注意により四名の貴い生命が失われたものである。その結果は悲惨で誠に痛ましいというべきである。

清水組で担当していた道床更換作業は、電車の通行の合間に行われていたもので、その身の安全はひとえに列車監視者に委ねられていたものであり、被告人Sとしては仲間の生命を守る重要な任務を負わされていたにもかかわらず、その義務を怠り、作業員を列車の通過や進行に合わせて安全な場所に退避させるという責務を全く実行しなかった過失は誠に重大である。また、被告人Iは、日進駅到着後、見通しを妨げる状況は何らないのに、発進に際しては常に注意力を適正に配分して前方を注視すべきであるにもかかわらず、その基本的な注意義務すら守らずに発進させた過失はこれまた誠に重大である。

更に、被告人Sは、事故直前の下り列車にその通過直後に気づきながら、上り列車の時刻の確認を全くしなかったばかりか、日進駅方向に少しの注意を払うこともしなかったという二重の過ちを犯したものである。一方、被告人Iは、予定到着時刻より一分弱遅れていることに気持ちが焦り、加えて、バックサッシ(遮光幕)を閉めるのに手間取ったため、車掌の出発の合図を聞いてあわてたことから前方注視を欠くに至り、また、作業員に気づいたもののあわてたため警笛吹鳴に至らなかったものであるが、電気機関士としては、乗務中において保線作業が行われていることも十分予想されるのであるから、常に前方注視を実践すべきは当然のことであり、専用軌道上であるからといってその義務が軽減されるものではない。本件においては、被告人両名の日頃の慣れが重大な結果を生じさせたものといわざるを得ない。

このような被告人両名の過失の程度や内容、被害者それぞれの人生を一瞬にして奪った結果の重大性、各被害者の無念さはもとより、残された遺族の悲しみも察するに余りあること、遺族の被害感情等を合わせ考慮すると、被告人両名の刑事責任は誠に重いといわなければならない。

二  斟酌できる事情

清水組においては、事情はともあれ、列車監視者もその監視に専念していたわけではなく、他の作業員の仕事を手伝うことは暗黙の了解のようになっていた状況にあったことが窺え、本来であれば、列車監視者は列車の監視に専念し、他の作業に従事してはいけないはずであるのに、また仮に手伝った場合でも常に監視者の職責の自覚があれば監視業務を忘れることはありえないはずとはいえ、日頃から監視業務の専任を徹底していなかった清水組代表者清水鉦三の責任も一方では否定できないところである。

また、昼間の軌道上作業については、発注者、元請業者の立場にある名古屋鉄道株式会社(以下「名鉄」という。)、矢作建設工業株式会社(以下「矢作」という。)相互の連絡も十分でなかったことが窺われ、作業の把握はもとより、電気機関士に対する事前連絡も徹底されていなかったことが認められる。列車が頻繁に往来する昼間の作業については、仕事を請け負わせた矢作としても下請けの責任者である清水鉦三に任せきりではなく、常に事故防止に向けての指導が徹底されるべきであったと思われるのに、その点に関する指導監督は不十分といわざるを得ないし、名鉄の工事にもかかわらず、名鉄としても作業の把握を十分していなかったことから、電気機関士に対する事前の連絡が徹底されなかったことも事故に結び付く要因として軽視できないところである。昼間の作業は関係者からみて容易に認識できるものであり、昼間の作業を禁止するのであればそれまでにも注意がなされていたはずと思われるのに、従前このような注意がなされたとの証拠が見当たらないことからすれば、昼間の作業を黙認していたといわざるを得ないうえ、現実に昼間に作業が行われていたのであるから、名鉄も矢作もその点把握して十分な監督体制をとり、また作業現場を事前に電気機関士に告知して安全対策を徹底すべきであったと思われる。このような事情は、被告人両名の刑責を考えるうえで十分斟酌すべき事柄といえる。

更に、列車のような専用軌道の高速度交通機関にあっては、各被告人がそれぞれの義務を果たしていれば本件事故が発生しなかったことも明らかであり、被告人両名の過失が同時に重なったという意味では各被告人にとっては誠に不幸な出来事といえなくもない。

被告人両名、名鉄及び矢作らと本件各被害者側との間においては、いずれも示談が成立しており、各被告人がそれぞれの業務を遂行する過程で発生した本件事故の態様に鑑みれば、会社の出捐によるものではあっても、右は各被告人の利益に援用しうる性質のものと考えられる。また、被告人Sは、矢作の本件賠償金の負担割合のうち二〇〇万円を負担する旨合意し、矢作との間で示談を遂げている。

被告人両名は、それぞれ仕事振りや生活態度は日頃からまじめで何ら問題がなかったことが認められる。

被告人Sはこれまで前科前歴がなく、被告人Iは自動車運転中の業務上過失傷害罪で罰金刑に処せられた前科一犯があるものの、他に前科前歴はない。

各被告人は、自らの過失を素直に認め、反省の態度を示すとともに、自己の責任を自覚し、各被害者の冥福を心から祈っている。

これらの事情は、被告人両名にそれぞれ有利に斟酌できることはいうまでもない。

三  結論

以上のような被告人両名に有利不利な一切の事情を総合し、また、各被告人の家族の状況、今後の生活状況などを考慮して、それぞれ主文の刑を量定し、各被告人の社会内での更生に期待してそれぞれ刑の執行を猶予することとした。

(裁判官 佐藤學)

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